父の日に父の背中を思う

11/6/18

父の日というのは影が薄いものだ。
しかし,影が薄いくらいでちょうど良い。
それは父親というものは,黙っていて影を薄くしている方が無難だからだ。

私の父は,既に鬼籍に入って長い。
幼い頃,銭湯でみた父の背中は赤銅色で,筋肉が隆々としていた。
子ども心にもたくましく見えた。
父は,それなりに学問は身につけたが,社会的地位も,名誉も,そしてお金にも縁がなかった。
何しろ,晩年に「借金をしなかっただけでも俺は立派だ。」と自慢げに言っていたほどだ。
「借金をする甲斐性もなかったくせに」と母に悪態をつかれながら。
いつも,黙々と仕事をして,黙々と読書をして,黙々と晩酌をしていた。
父は,手先はすごく器用だったが,生き方は不器用そのものだった。
しかし,人の悪口とねたみを父から聞いたことはなかった。

後年,親孝行のまねごとで,温泉に連れて行ったときのこと。
しばらくぶりに,同じ湯船に入り父の背中を流した。
既に糖尿病が進んでいてたくましかった背中は,筋肉が落ちて,骨が浮き出ていた。
年取ったな。苦労させたな。心の中では言えるのだが,ついぞ,正面切って声に出して言うことはできなかった。

今時,親父という言葉は,何気がなく使われている。オヤジと書くとほほえましくもある。
若い人は,女性でも,父親のことをオヤジと気軽に呼ぶのだろうか。
私は,父を親父とは呼んだことはなかった。
それは,父にそう呼ばせないだけの威厳があったからではない。

太平洋戦争中に予科練から海軍に入り南方の島々で死線をさまよった父。
九死に一生を得た後に,言い表せない戦後の動乱を味わった父。
その絶対超えることのできない時代の重さが垣根となり,親父とは呼ばせなかったのだ。

人に迷惑さえかけなければいい。自分のやりたいことをやれ。
そう言いながら,ほとんど私や弟の進路とか職業選択には関心を持たなかった。
私の入試の時も徹夜で工場の機械を修理していた。

子どもは親の背中を見て育つという。
私は父の背中を見て育ったと言えるのだろうか。             
                                                  岡田まさき

投稿者 musashino-law | 2011年6月17日 18:41

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